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「卑弥呼の墓」初の立ち入り調査で浮上した「墳丘そのものが石で覆われていた可能性」

邪馬台国の女王、卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓古墳(奈良県桜井市)での初の立ち入り調査に、17代・履中天皇の墓ともみられるニサンザイ古墳(堺市北区)では周濠(しゅうごう)から祭祀の舞台ともされる前例のない柱穴が出土するなど、近年、古代史ファンを興奮させる調査が相次いでいる。いずれも宮内庁の陵墓としてベールに包まれてきただけに、墳丘周囲の調査とはいえ古墳研究の大きな一歩になった。ニサンザイ古墳をめぐっては、後円部の直径がこれまでの測量値より10メートル以上大きいことが堺市による調査で判明するなど、まだまだ目が離せない。

■測量も採集も禁止の陵墓「歩くだけでも…」
「日本にとどまらず、東アジア史の中で重要な位置を占める古墳に初めて入ることができた」。昨年2月20日、箸墓古墳(全長280メートル)の立ち入り調査を終えた日本考古学協会の森岡秀人理事(陵墓担当)は興奮気味に語った。

卑弥呼は3世紀前半に中国の王朝・魏に使者を送るなど積極外交を展開。東アジア情勢を見極めて国づくりに励んだ女王の墓ともいわれ、注目度はひときわ高い。

調査では、日本考古学協会の研究者ら16人が墳丘縁辺部を1時間半かけて歩いた。考古学の調査といえば発掘のイメージが強いが、土の表面を掘ることも、遺物の採集や測量もできない。「皇室の祖先をおまつりする陵墓の尊厳と静謐(せいひつ)を保つため」(宮内庁)というのが理由だ。

箸墓古墳はすぐ外側に一般の道路が走り、墳丘は高さ1メートルほどのフェンスや生け垣で囲まれただけ。普段でも間近まで行くことができる。調査はフェンスのすぐ内側を歩くだけだったため、「歩いて何が分かるのか」と冷めた見方もあった。

それでも、墳丘の土を直接踏みしめた意義は大きかったようだ。築造当時の状態で並ぶ葺(ふ)き石を確認し、墳丘全体が石で覆われていた可能性が浮上。「発掘しなくても得られる情報量は、決して少なくなかった」と森岡さんは語った。

■頂上は見えず…あと1段上がれれば
「箸墓古墳は未盗掘かもしれない」。昭和40年代の宮内庁の調査で、石室のある後円部頂上付近に大量の石材が築造時の状態で確認され、一昨年のレーザー測量による精緻な実測図でも、盗掘で掘り返されたような痕跡は見当たらなかった。

立ち入り調査では後円部頂上を観察できるか期待もあったが、ほとんど見えなかった。陵墓など大型前方後円墳は一般的に3~4段構造だが、宮内庁は立ち入りを墳丘最下段に限定。研究者からは「あと1段上がることができれば、墳丘頂上の様子も分かったかもしれない」との声ももれた。

■「被葬者は天皇クラス?」「祭祀の舞台?」
3世紀中ごろから後半につくられた箸墓古墳が国内最古の巨大前方後円墳であるのに対し、ニサンザイ古墳(全長約300メートル)がつくられた5世紀後半は、仁徳天皇陵(堺市堺区、同486メートル)など巨大古墳築造のピークにあたる。

堺市の発掘調査で、後円部外側の周濠から幅12メートル、長さ4メートルの範囲に柱穴が舞台の土台のように等間隔で並び、長さ34メートル以上の橋脚の柱穴も出土した。「天皇クラスの被葬者を運び入れた特別な橋」「祭祀の舞台では」と話題を集めた。

調査を担当した市文化財課の土井和幸主査は「周濠にこれだけ大規模な施設があったとは思いもしなかった。巨大な前方後円墳の周濠を広範囲に調査する機会はめったになく、どういう目的で設置されたのか」と戸惑いぎみに話していた。

発掘調査は、他の遺跡の事例なども参考に掘り進めるため、過去に類例のない遺構の検出は、調査担当者の正確な目が欠かせない。「本当に間違いないのか」と研究者から批判を受けかねないからだ。

大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「だれも予想しなかっただけに、現場担当者はよく丹念に調査した。古墳祭祀を考える上で極めて重要な成果だ」と評価する。

堺市は今月5日には、後円部北側の周濠を調査した結果、後円部の直径が約170メートルになることが分かったと発表。大正15(1926)年の測量で156メートルとされており、今後の調査によっては古墳全体の大きさも更新される可能性があるという。

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