最新古墳にコーフンニュース

ニュース

堺市のニサンザイ古墳になぜ巨大木橋? 考古学者でも分かれる見方/大阪

堺市北区の「ニサンザイ古墳」(5世紀後半)の発掘調査で、幅約12メートル、長さ45メートル以上に及ぶ古墳時代最大の木橋がかけられていたことが明らかになった。同古墳は大王(天皇)陵とされるが、巨大橋は何に使われていたのか。「被葬者を運んだ」とする説のほか、「全国の豪族たちが葬列をなした」「石棺などの重い資材を運ぶため」「スロープの土台」などと、考古学者たちの間でも意見が分かれた。

古墳完成後に大王の遺体を運んだとする府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「副葬品も運び、橋の上には見守る人たちがいたのではないか」と話す。前方後円墳は名称の通り、四角い前方部が「前」とされるが、ニサンザイ古墳では巨大橋がかけられた後円部が「前」だった可能性を指摘する。

国立歴史民俗博物館の広瀬和雄名誉教授は、橋の幅が大きく、柱も太く堅固な造りだったことから「被葬者を運ぶだけでなく、全国から多数の豪族が集まり、葬列をなしたのではないか。大王の葬列の様子がうかがうことができる初めての古墳」と評価する。「豪族らは身分の順に並んで墳丘に入っていったのではないか」と想像を膨らませる。

一方、兵庫県立考古博物館の和田晴吾館長は、被葬者を運んだとする説を否定する。「石棺などの資材を運ぶための橋だろう。こうした重いものを運ぶにはたくさんの人が必要で、そのためにこの橋は使われたのではないか」と推定。ただし、「資材を運ぶことも華やかな祭礼の一種として行われたのだろう」としている。

京都橘大の一瀬和夫教授は「墳丘のかなり高いところに行くためのスロープの土台部分だった」と推定。「被葬者がいる古墳が完成した後、別の被葬者の埋葬施設をつくったのではないか。墳丘が傷まないよう緩やかなスロープを設け、多くの人が石棺などの資材を木ぞりで上げたのではないか」と分析している。

花園大の高橋克壽教授は「最後の段階でつくられた橋ではないか。被葬者を運んだ可能性が高い」とし、橋の堅固さと幅から「重いもの、石棺のふたなども大勢の人が運んだのではないか。また武器や武具などの副葬品も運び、(被葬者の)後継者や家族、巫女(みこ)も通ったのだろう」と話している。

現地説明会は行われない。

記事のページ:
http://www.sankei.com/region/news/160129/rgn1601290070-n1.html