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堺のニサンザイに古墳時代最大の木橋 幅12メートル長さ45メートル以上 「被葬者を運んだ」「全国の豪族集結し葬列」…専門家解釈さまざま/大阪

多数の柱穴が見つかった堺市北区の前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、全長約300メートル)の後円部の濠(ほり)から、新たに柱穴5個(直径約60~90センチ)が見つかり、市文化財課が27日、発表した。柱穴は橋脚の跡とみられ、計35個になった。穴をつなぐと、幅約12メートル長さ45メートル以上の長方形となり、古墳時代としては最大の木橋と断定。同課は「橋は大王(天皇)級の被葬者の葬送儀礼に使われ、葬列などが通ったのでは」としている。

ニサンザイ古墳は実態がほとんどわかっていないが、第18代反正(はんぜい)天皇の墓との説もあり、宮内庁が陵墓参考地に指定、管理している。

平成24年度の市の調査で、後円部の濠(ほり)付近から、古墳の中心線に沿って柱穴30個と、橋脚の一部とみられる直径約20センチの木材が2つ見つかった。柱穴は墳丘付近で7列に並んでいたが、対岸の堤近くには4個しかなかった。穴をつなぐとT字形で、木橋の全容は不明だった。

今回の調査で、堤近くで新たに5個の柱穴を発見。墳丘側の7列の位置と合い、長方形の巨大な木橋であることが判明。計35個の穴は2メートル前後の間隔で掘られていた。古墳の中心線のほぼ中央を通り、象徴的意味を込めた可能性がある。高さは5~6・5メートル。

柱穴はいずれも埋め戻された跡があり、葬送儀礼などのために、短期間使われた橋だったとみられる。

現地説明会は行われない。市は写真パネル展などを検討している。

堺市北区の「ニサンザイ古墳」(5世紀後半)で確認された幅約12メートル長さ45メートル以上の木橋は、何のためにつくられたのか。同古墳は専門家の間では大王(天皇)墓とされるが、前例のない巨大橋の用途について、「被葬者を運んだ」「全国各地の豪族が葬列をなした」「石棺など重い資材を運ぶ橋だったのではないか」など、考古学者の間でも意見が分かれた。

「橋が古墳の中心線に沿っていたことは、建設が極めて計画的だったことを示す」と指摘するのは大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長。ニサンザイ古墳は全国7番目の規模で、白石館長は「当時としてはずば抜けて大きい。古墳が完成した後、この巨大な橋で被葬者である大王の遺体を運び、橋の上には、見守る人たちがいたのではないか」と話す。

一方、国立歴史民俗博物館の広瀬和雄名誉教授は橋の幅が大きいほか、柱が太く堅固な橋だったとして「被葬者を運ぶだけでなく、全国から多数の豪族が集まり、葬列をなしたのではないか。大王墓の葬列をうかがうことができる初めての古墳」と評価。「豪族らは身分の順に並んで墳丘に入っていったのではないか」と想像を膨らませる。

これに対し、兵庫県立考古博物館の和田晴吾館長は被葬者を運んだとする説を否定し、「石棺などの資材を運ぶための橋だろう。こうした重いものを運ぶにはたくさんの人が必要で、そのためにこの橋は使われたのではないか」と推定。ただし「資材を運ぶことも華やかな行いで、祭礼の一種」としている。

また、京都橘大の一瀬和夫教授は「墳丘のかなり高いところに行くためのスロープの土台部分だった」と推定。「被葬者がいる古墳が完成した後、別の被葬者の埋葬施設をつくったのではないか。墳丘が痛まないよう緩やかなスロープを設け、多くの人が石棺などの資材を木ぞりで上げたのではないか」と分析している。

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http://www.sankei.com/west/news/160127/wst1601270108-n3.html