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八女古墳群を巡る「道ひとつにも歴史眠る」/福岡

八女の古代史の象徴と言えば、6世紀前半に筑後地方を拠点に勢力を誇った豪族、筑紫君磐井と、磐井が生前に築いたとされる岩戸山古墳だが、周囲には他にも多くの「いにしえの記憶」が残っている。八女市では昨年11月末、同古墳北側に開館した岩戸山歴史文化交流館を拠点に、八女古墳群を巡る企画を始めた。寒さも和らいだ散策日和に、同館の大塚恵治係長の案内で古代の痕跡が残る地域を歩いた。

「今回紹介するのはマニアックなコースです」。大塚さんと向かったのは、岩戸山古墳西側の吉田地区。国指定史跡の乗場古墳や丸山塚古墳などの主要古墳が点在する地域とは、正反対の方向だ。交流館を出て民家や畑の間を抜けて歩くこと5分。真西に150メートルほど離れた岩戸山4号古墳に着いた。

磐井が大和王権との戦いに敗れた後の7世紀前半に築造された直径約30メートルの円墳。八女古墳群の中では最も新しい。内部の壁には巨大な一枚岩を使い、大人の男性が立って入れる高さ。磐井の権力を引き継いだ一族の長が造ったとされる。大塚さんは「何百人も動員しないと動かせない巨石を使っていることからも、相当の有力者だったことが分かります」と解説する。

この古墳は、鎌倉時代には信仰の対象でもあった。証拠がある。石室奥の石に目を凝らすと、うっすら「卍(まんじ)」の印が彫られていた。「お祈りの場所だったんです。地域の安定を願ったのでしょうか」

岩戸山古墳の西側に南北に伸びる道がある。狭い道だが、地域の豪族が利用した古代の道路と考えられている。次の目的地に向かいながら、古墳巡りを企画した意図を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「道ひとつにも興味深い歴史が眠っています。参加者と地域の歴史を共有して、郷土への愛着や誇りの熟成にもつなげたい」

南に歩くと茶畑に囲まれた電波塔が見えてきた。一帯は弥生時代後期から古墳時代初期に巨大集落があったらしい。電波塔建設の発掘調査で、10メートル四方に計6棟の竪穴住居と高床式建物の跡が見つかった。「建物密集の集落だった証しは、今もあります」。大塚さんに言われて道路沿いの地面を見ると、あちこちに土器片があった。

古代道から脇道に入って民家の間を抜け、岩戸山古墳の南側に出た。大きな溝の一部が見つかり、巨大な集落があったと推測される。この地域からは岩戸山古墳が見えた。もっとよく見えた時代もあるはずだ。

ここで大塚さんが大胆な推測を披露した。「古墳南側の遺跡一帯のどこかに磐井の館があったのではないかと考えています。自慢の古墳がよく見える館で、古代道を通って来た使者をもてなしたのではないでしょうか」。私もいろんな想像が広がり、古代を探訪していた。

同館は20日、「八女の古墳めぐり」を開催する。交流館駐車場で午前9時から受け付け、9時半に出発。今回のコースを中心に吉田地区を約2時間かけて散策する。参加無料。定員50人。

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