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「地震考古学」大地の痕跡、防災に生かす

過去の地震の歴史を知って将来の対策に生かすために、考古学を防災に取り入れる動きが広がっている。「地震考古学」と称され、被災地の地中から見つかる過去の痕跡が現代人にさまざまな教訓をもたらしている。
地震考古学は、発掘調査での地震の痕跡と文献を照らし合わせて発生年代を推定する。地中の液状化やずれ、分布から分かるかつての地震の規模や被害、範囲を防災の参考にする学問分野で、国内最大級の公的研究機関、産業技術総合研究所(東京本部、つくば本部)で地震を研究してきた寒川旭氏が確立した。
現地調査と文献の結びつきは、大津地裁での関西電力高浜原発(福井県高浜町)の運転差し止め仮処分決定の判断材料の一つともなった。原発近くの沿岸部で、福井大などの研究者が14~16世紀の大地震の影響とみられる津波の跡を確認し、天正地震(1586年)で津波に襲われた若狭の状況が記された古文書との関連性が注目された。
京都府埋蔵文化財調査研究センターでは、寒川氏の協力を得て1980年代から地震の痕跡も意識して発掘調査している。安土桃山時代に起きた巨大な慶長伏見地震(1596年)の痕跡を、南山城地域で多く見つけることができた。
八幡市の木津川河床遺跡では、激しい揺れで地中が液状化した跡と砂が噴き上げる「噴砂(ふんさ)」の跡が多く残っていた。古墳時代の遺構が引き裂かれた跡もあり、いかに巨大な地震だったかを今に伝える。地震考古学の観点で調べるまでは、噴砂の跡は特に気にされていなかったが、それらを調べることで府南部での被害の甚大さが想定できた。
京丹後市の谷奥古墳群では、北丹後地震(1927年)の影響で、古墳の丘陵に複数の地割れができた。地割れの部分は高い標高が多く、どのような場所で被害が出やすいかが分かり、防災のメカニズムの解明に役立てられるという。
また、東日本大震災(2011年)の被災地の多くでは地域の歴史を重視して発掘調査が行われた。平安時代などに襲った津波や集落の跡が次々と明らかになっている。
京都府教育委員会から福島県南相馬市に派遣され、1年間発掘調査を支援してきた府教委の古川匠さん(38)は、南相馬市での住居の変遷に着目した。東北では平安時代の貞観地震(869年)での津波の被害が知られるが、約2千年前の弥生時代中期にも大地震で巨大な津波で被災した。発掘調査によると、地震後、弥生時代の集落は津波を恐れてか、高台に多く作られていたことが分かる。
だが、古墳時代や奈良時代に時代が進むと、再び沿岸部に多くの集落が移ったことも分かった。古川さんは「南相馬市は軍勢が集い、製鉄の拠点があったため、水上交通が盛んで沿岸部に役所や集落が集まった。当時の人々は災害のリスクよりも利便性を選んだのだろう」と推測する。
災害の記憶は月日と共に薄れていく。被災と復興を繰り返してきた京都でも6年目となる「3・11」を機に、地元の地震の歴史を振り返る機会としたい。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170307-00000020-kyt-l26