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積石塚を飯田で発見、南信で初 古墳時代中期、渡来人の墓か/長野

古墳時代中期(五世紀後半)の築造とみられる積石塚三基が、飯田市北方(きたがた)の「北方西の原遺跡」で発見されたことが分かった。朝鮮半島からの渡来人の墓ではないかとされる積石塚は、長野市の大室古墳群などで確認されているが南信地方では初。当時、畿内の王権は、軍備増強などを目的に馬の生産技術を持つ渡来人を各地に配置したとされ、積石塚はそれを裏付ける貴重な発見だ。

北方西の原遺跡の発掘調査は、都市計画道路建設に伴い、二〇一四~一六年に行われた。県内十例目となる古墳時代前期(四世紀中頃)の前方後方墳「笛吹二号墳」など五基の古墳を検出したほか、最終盤には積石塚の存在も確認した。

飯田市教委の調査報告書によると、三基の積石塚は地山を掘り込んで墓壙(ぼこう)を造り、その中に埋葬施設を構築するなどして全体を直径二十~五十センチの石で覆っていた。

東西二メートル前後、南北一・四メートル前後と小規模だが「ほぼ石のみで構成されている」ことを三基が積石塚である根拠としたという。

三基のうち二基からは、副葬品の刀子(全長九・五センチ)や鉄鏃(てつぞく)(残存長十五センチ余)などが出土。これらの金属製品から、積石塚の築造年代は「古墳時代中期と考えられる」としている。

県内では、積石塚を中心とする大室古墳群がある北信に対し、南部の飯田下伊那地方は積石塚がない地域として対比されてきた。

古墳時代前期の前方後円墳が卓越する北信地方に対し、中期以降に前方後円墳が盛行する南信地方という対比に、積石塚の有無はどう関係するかも課題とされてきたといい、飯田市教委の担当者は「今後、市内で同様の発見が予想され、これまでの調査についても見直しが必要になる」と話している。

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