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論点 世界遺産候補、百舌鳥・古市古墳群/大阪

関係機関と地元の連携密に 和田晴吾、百舌鳥・古市古墳群 世界文化遺産登録推薦書作成検討委員会委員
日本には16万基を超える古墳があると言われる。百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代最盛期の王たちの墓域であり、日本を代表する古墳群だ。全長400メートル超の前方後円墳がある一方、周囲には小さな帆立貝形古墳や円墳、方墳が築かれ、形、大きさともバラエティーに富んでいる。こうした多様性こそ王権の構造を表し、他に類例がないという点で世界遺産にふさわしい。

推薦書原案の作成には多くの困難があった。たとえば、古墳の墳形や規模が被葬者の政治的身分を表すことについて、従来は「階層性」という言葉で説明してきた。しかし、国の文化審議会で「わかりにくい」との指摘を受け「多様性」に改めた。

「事実と解釈を分けるべきだ」との指摘もあった。現在の古墳は森に覆われているが、築造当初は葺石(ふきいし)や埴輪(はにわ)で飾られていた。個人的には、墳丘上には他界(あの世)が表現されたと考える。王が亡くなると王宮近くで殯(もがり)という儀式を行い、遺体は船に乗せて古墳へ運ばれた。こうした解釈は古墳の魅力を伝えることになると思うが、学会の定説ではない。多様な意見を一つの書面に集約し「葬送儀礼の舞台」としたのは妥当だろう。

古墳の名称を巡っても議論があった。今回、世界遺産を目指す意義を宮内庁が理解し、協力したことは高く評価されるべきだ。一方で、平安時代の法令集「延喜式」などから陵墓を定めた宮内庁の立場と、考古学的な学問研究の成果が必ずしも一致しないことも事実だ。

教科書で大山古墳と記される古墳を「仁徳天皇陵古墳」としたのは、両者が折り合う名称で推薦書原案を作る必要があったからだ。宮内庁と協力しなければ世界遺産という大きな目標を実現できない。原案には、考古学的名称と宮内庁の呼称の対照表も添付し丁寧に説明している。

今後は文化庁と宮内庁、そして関係自治体が古墳群全体をうまくトータルマネジメントできるかが問われる。保存管理の面では、植物の専門家にも入ってもらい、墳丘を覆う木々の剪定(せんてい)・伐採について議論を始めている。また、古墳という遺跡と、陵墓の安寧と静ひつを守りながら、どう公開を進めていくかや、地域振興、あるいは観光客の受け入れ態勢なども課題になってくる。

イコモス(ユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議)には、ぜひ上空から古墳群の全体像を見てもらい、都市の中でこれだけの遺跡が残っている価値を見付けてほしい。世界遺産への登録は出発点であり、ゴールではない。地元の人々の協力を得ながら、世界遺産にふさわしい対応ができるかが試される。

名称問題、見過ごせない 今尾文昭・関西大非常勤講師
百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けた課題は、主に三つある。現在、宮内庁の陵墓となっている古墳の名称問題、保存の問題、公開の問題だ。特に名称問題は重要で、推薦書原案が採用した「仁徳天皇陵古墳」など天皇名を冠した名付けを考古学の立場から見過ごすことはできない。だからと言って「世界遺産登録に反対」というものではない。この機会に課題を明らかにし、広く共有して意見を取り込んでほしい。

2007年段階の提案書では「仁徳陵古墳」の後ろに括弧書きで「大山古墳」と併記されていた。しかし、後の推薦書原案では「仁徳天皇陵古墳」の表記に変わった。陵墓と古墳という別々の体系を結び付けた、木に竹を接ぐような表現だ。

「仁徳さんと親しまれてきた古墳」の意味だそうだが、そもそも「仁徳」という天皇名は8世紀以降の贈り名で、「仁徳」と呼ばれたのは明治以降だろう。江戸から戦前まで地元では「大山(仙)陵」の呼び名が残っていた。「大山古墳」とするのが第一で、贈り名で呼ぶこと自体、伝統にかなうことではない。

また、被葬者が定かでなかったり、実在性に議論があったりする人物の名を付けることは、誤解や混乱のもとで、世界に間違ったメッセージを発信しかねない。「仁徳天皇陵古墳」とされた大山古墳と「履中天皇陵古墳」の百舌鳥陵山古墳を出土遺物などの研究成果から見た場合、築造順序は百舌鳥陵山古墳が先になる。これはほぼ定説で、16代仁徳天皇、17代履中天皇という歴代に反する。観光行政と文化財行政を区別すべきだ。

次に保存の問題だ。大型前方後円墳の墳丘すそが周濠(しゅうごう)の水に浸食され、朽ちていることは、一般にはほとんど知られていない。陵墓は宮内庁が現状把握に努めているが、周囲の小さな古墳を含め全体をどう保全するのか。埋葬施設の発掘調査には反対だが、保存に向けて経年変化で傷んだ墳丘などをどの年度で発掘調査し、誰が保護施策を打つのか、一体どのくらいの予算が必要なのか。中長期的視点に立った計画が必要だが、今のところ公表されていない。

最後に公開の問題。陵墓は現在も非公開だ。しかし、陵墓とされた古墳が秘匿されたのは明治以降であって、それまでは中に入って薪を採り、うたげを楽しむ場として地域につながる歴史があった。世界遺産登録の暁には、研究者だけでなく多くの人に開かれるべきだ。墳丘の外からでも中に残された「古代の空間」に迫り、歴史を実感できる工夫を探ってほしい。期間を区切って堤の中まで入れるようにするのも一案ではないか。

審査、年々厳格化
百舌鳥・古市古墳群には、歴代天皇や皇后の墓とされる古墳を含む4世紀後半~6世紀前半の89基が現存。推薦書原案は、このうち比較的保存状態の良い4世紀後半~5世紀後半の49基で構成した。49基中、陵墓と定められた古墳は29基に上る。

文化庁によると、国内推薦を決めた文化審議会では、地理的に離れた百舌鳥、古市両古墳群の一体性をどう論理的に説明できるかといった課題も指摘された。また、文化庁が担当する国史跡と宮内庁が管理する陵墓では、保存管理や公開に対する立場に違いがあり、今後どこまで一体的にマネジメントできるかも問われる。

年々厳格化する世界遺産の審査では、日本側とユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の価値観とが一致しない懸念もある。イコモスの指摘でいったん推薦を取り下げた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)の例は記憶に新しい。

大阪府などは年内にも協議会を設置し、来年2月までにユネスコに正式な登録推薦書を提出する。イコモスは来夏ごろ現地を調査、勧告を経て19年の世界遺産委員会で登録の可否が決まる。

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