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長柄桜山古墳群 国史跡指定15年 東海地方の指導者か 交通要衝「灯台」との見方も 逗子・葉山/神奈川

大規模古墳は存在しないとされていた三浦半島で、地元の考古学愛好家によって見いだされた県内最大級の前方後円墳「長柄桜山古墳群」(逗子市、葉山町)が国の指定史跡となってから15年を迎えた。周辺に古墳のない地域で、4世紀に突如出現した大規模古墳は、誰が、どんな目的で造営したのか。調査結果や史跡整備の現状をまとめた。【因幡健悦】

古墳の概要
同古墳群は逗子市と葉山町の境界にあり、2基の前方後円墳で構成される。1999年3月、工事に伴う森林伐採の際、古墳ではないかと考えていた地元の考古学愛好家が現場で埴輪(はにわ)の破片を見つけ、その後の調査で古墳(1号墳)と判明した。間もなく、1号墳の西側約500メートルの丘陵で、古墳の表面を覆う葺石(ふきいし)などが見つかり、2号墳が確認された。大きさは、1号墳は全長91・3メートル、後円部の直径52・4メートル、2号墳は全長88メートル、後円部の直径54メートル。関東有数の規模である上、(1)未盗掘で、ほぼ完全な形をとどめている(2)墳丘にテラスを持つ段築(だんちく)(1号墳)や葺石(2号墳)など、畿内(関西)の定型的な前方後円墳に近く、ヤマト王権の色濃い影響がみられる--などが学術的にも高く評価され、2002年12月に国の史跡となった。

被葬者は?
「逗子周辺は千葉や群馬の集落に向かう交通の要衝だった。海上ルートなどで東海地方から派遣された集団の指導者ではないか」

逗子市役所で今月3日に開かれた史跡指定15周年記念講演会で、横須賀市自然・人文博物館の稲村繁学芸員は出土した埴輪の系統分析などを踏まえ、こんな見方を披露した。

同古墳群からは、ヤマト系の円筒埴輪と、東海系の壺型埴輪の2種類が出土し、両方の埴輪による装飾が施されていたと考えられている。このうち、壺型は、ヤマト系にはなく、東海系に顕著な長く伸びた形状だった。また、同古墳群がそれまで古墳のない地域に突然出現し、2基造営以降は造られていないことなどを合わせ、東海系墳墓の単発的な造営と推測した。

東海系の影響は認めるものの、被葬者特定までは難しいと考えている研究者もいる。葉山町生涯学習課で同古墳群の調査研究を担当する山口正憲主査は「古墳群は交通の要衝だった地域のランドマークだった」と考えている。古墳2基はいずれも左右対称ではなく、相模湾や、東京湾に抜ける近道だったとされる田越川から最も整った形で見える。葺石を施した2号墳は海上から白く輝いて見えたと想像され、灯台の役割だったとの見方もある。

「共通の文化的シンボルである前方後円墳を造成することで、畿内などとの交渉・交流を円滑にする狙いがあったのではないか」。山口さんは、畿内や東海の文化を取り入れた三浦半島独自の集落があり、そのリーダーが被葬者である可能性も否定できないと考えている。

2号墳発掘は「平成」後
現在、発掘調査を終えているのは1号墳だけで、2号墳の発掘は進行中の史跡保護・整備事業が終わる22年度以降の予定だ。整備事業では、1号墳の段築が再現され、墳丘に上ることも可能となる。被葬者や突然現れて消えた謎の解明は、平成の次の時代に持ち越される。

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https://mainichi.jp/articles/20171222/ddl/k14/040/053000c