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中国・朝鮮半島の脅威、1600年前にも 世界遺産目指す「百舌鳥・古市古墳群」東アジア情勢へ機敏に対応

国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)などがある百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(大阪府)について府などは2月1日までに、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録に向けて正式な推薦書を提出する。その巨大古墳はなぜ突如として大阪平野に築かれたのか-。背景には、中国の朝鮮半島南下など激動する東アジア情勢があったという。北朝鮮の核ミサイルや中国の脅威など大陸に振り回される歴史は、はるか1600年前からあったようだ。

4世紀末に大阪平野へ

3世紀中頃に幕を開けた古墳時代は、邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、同280メートル)をはじめ、奈良盆地に巨大な前方後円墳が築かれ、初期ヤマト政権の中心だった。しかし、巨大古墳は4世紀末に大阪平野へ移り、百舌鳥・古市古墳群が形成された。
古墳の規模も、奈良盆地では全長200~300メートルだったが、仁徳天皇陵をはじめ、国内2番目の応神天皇陵古墳(大阪府羽曳野市、同425メートル)など300~500メートル近くに巨大化した。中国の歴史書では当時の日本について、倭の五王が日本列島や朝鮮半島の一部を勢力下に置いて、中国に承認を求めている状況が記されている。

高句麗侵攻に現実味

巨大古墳群が大阪平野に築かれた理由について、大和を中心とした王朝が滅び、新たに「河内王朝」が登場したとの説も唱えられた。しかし、この時期に大規模な内戦を示す遺跡も見つかっておらず、5世紀代の天皇も従来と同じく奈良盆地に宮を築いていることから、河内王朝説に否定的な見解が多い。

大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は、中国・朝鮮半島を含めた東アジア情勢の変化に注目する。
当時、中国の北方遊牧騎馬民族が南下して朝鮮半島北部の高句麗に迫った。高句麗は半島南部の新羅や百済へ侵攻し、倭国にとっても高句麗の侵攻が現実味を帯び、国家防衛に注力。百済との関係を強化しながら、当時の最先端の戦力とされた騎馬を取り入れたとされている。

河内勢力が政権中枢

白石館長は、当時のヤマト政権は大和(奈良)と河内・和泉(大阪)の連合政権だったと指摘。大陸の脅威に備えて、瀬戸内海を通じて外交関係を担っていた河内の勢力が政権の中枢を握り、古墳も大阪平野に築いたという。両古墳群からは、朝鮮半島と類似した形式の馬具や甲冑などの武具が多数出土し、国の防衛に力を尽くしたことがうかがえる。

白石館長は「奈良盆地を拠点とした邪馬台国からつながる初期ヤマト政権は、呪術(じゅじゅつ)や宗教を柱にした政治をしていたが、激動する東アジア情勢がそれを許さなかった」と指摘する。
国家存亡の危機と同時に、朝鮮半島からの渡来人を通じて、大陸の先進文化も積極的に導入したのもこの時期だった。「まさに古代の文明開化。両古墳群の存在は、東アジア情勢に対応して国防と文化の両面で国づくりに取り組んだ様子がうかがえる。日本古代史を考えるうえで極めて重要だ」と話した。

百舌鳥・古市古墳群 4世紀後半~6世紀前半に形成された古墳群。東西に約10キロ離れ、大阪府南部の堺、藤井寺、羽曳野の3市にまたがる。200基以上が築かれ、89基が残る。大型の前方後円墳が集まっているのが特徴で、仁徳天皇陵古墳を含め200メートル超が11基ある。世界文化遺産候補となる構成資産49基(4世紀後半~5世紀後半)には、宮内庁管理の陵墓などが含まれる。国の文化審議会は昨年7月31日、世界文化遺産への平成31年の登録を目指して、国内候補として推薦することを決めた。

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http://www.sankei.com/west/news/180127/wst1801270006-n1.html