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調布市 狐塚古墳が東京都指定史跡に指定/東京

布田六丁目にある「狐塚古墳(下布田6号墳)」が、平成30年3月15日、東京都教育委員会により都指定史跡に指定されました。
これにより、市内の都指定文化財は、「上石原遺跡第15地点出土二彩多口瓶」(有形文化財(考古資料))、「佐須の禅寺丸古木」(天然記念物)と併せて3件になります。

狐塚古墳(下布田6号墳)

種別
東京都指定史跡

指定年月日
平成30年3月15日

年代
6世紀終末から7世紀初頭

概要
狐塚古墳(きつねづかこふん)は、多摩川中流域左岸に5世紀前半から7世紀前半にかけて造営された下布田古墳群を構成する円墳の一つです。下布田古墳群ではこれまでに17基の円墳が確認されており、狐塚古墳は古墳群のほぼ中央に位置します。地元では「狐塚」と呼ばれていて、古くから古墳として認識されていました。昭和19年頃に照空隊陣地設営のため、その大半は掘り崩されてしまい、平成12年の調査時点では、中央部分に80センチ程の高まりを残すだけとなっていました。
狐塚古墳の調査は、布田六丁目土地区画整理事業に伴い、平成12年10月から13年3月にかけて行われました。発掘調査の結果、狐塚古墳は古墳時代終末期に築造された大型円墳で、その規模は墳丘径(周溝内径)約44メートル、周溝外径約60.5メートルを測り、都内でも最大規模の円墳であることが明らかになりました。
埋葬施設として、半地下式の横穴式石室が検出されています。石室はほぼ真南に開口し、奥壁へ向かってやや幅が広くなる羽子板状を呈しています。規模は、羨門(せんもん)から奥壁まで8.7メートル、石室床面長6.8メートル、幅は奥壁側で2メートル、羨門側で1.45メートルを測ります。天井部が削平されていますが、側壁は河原石を小口積みし、奥壁にのみ凝灰岩質砂岩(ぎょうかいがんしつさがん)の切石を積み上げています。

出土品は、羨道に近い石室西壁下より、鉄製大刀(たち)3点、小刀(しょうとう)1点、鍔2点、刀子(とうす)1点、鉄鏃1点がまとまって出土しています。大刀3点のうち最も長身のものは、全長94.5センチ(刀身部79センチ)の直刀で、刀身に径5ミリほどの孔を穿った「刃関孔(はまちこう)大刀」と呼ばれるものです。墓道(ぼどう)からは土師器や須恵器が出土しており、これらの出土品から、狐塚古墳は、下布田古墳群の中でも最終段階の6世紀終末から7世紀初頭に築造された大型円墳であると考えられます。

古墳時代の武蔵(現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部)のうち、南武蔵の首長墓は、一貫して多摩川下流域の田園調布や等々力地域周辺に築造されています。後期においても田園調布古墳群内に50メートル級の前方後円墳が築かれますが、その後、下流域は首長権を失い、多摩川中流域に移ります。狐塚古墳は、下流域から中流域に首長権が移った当初に築かれた大型円墳で、これ以降、中流域では大型古墳や上円下方墳(武蔵府中熊野神社古墳)といった特徴的な古墳が築造されるようになります。また、多摩川中流域は、府中に国府が置かれるなど、8世紀以降武蔵国の中心となっていく重要な地域でもあります。
以上のことから、狐塚古墳は、都内最大規模の円墳というだけでなく、古墳時代の多摩川流域における首長墓の変遷を語るうえで欠かすことのできない重要な古墳といえます。

詳細ページ:
http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1521591131441/index.html