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小山田古墳 明治期は畑/奈良

◇奈文研調査 地籍図に方形残る

舒明天皇や蘇我蝦夷の墓との説がある明日香村の小山田こやまだ古墳(7世紀中頃)について、1889年(明治22年)の段階で方墳の形状がほぼそのまま地形として残り、畑として利用されていたことが、奈良文化財研究所飛鳥資料館の調査でわかった。同年作成の地籍図に記載があり、同研究所が29日に発表した紀要に掲載された。

同資料館が村の景観や土地利用の変遷を探るため、地籍図を調査。小山田古墳の記載があったのは「高市郡川原村実測全図」(縦73センチ、横105センチ)。田、畑、宅地、河川など土地の用途などによって色分けされている。

小山田古墳があった区画は方形の畑で、周囲は田として利用されていた。古墳の部分は当時の名残で高台になっており、水を引けなかったため畑として利用されていたとみられる。

小山田古墳は県立明日香養護学校の敷地内にあり、校舎建て替えに伴う調査で2015年に出土。石敷きの濠などが見つかり、1辺70メートルで飛鳥時代最大級のこれまで知られていなかった古墳として注目を集めた。地籍図でも、この地の小字は「石井」で、古墳に伴う石が残された土地だった可能性を示している。

明日香村教育委員会の相原嘉之・文化財課長は「明治の時点で、古墳だったと気付かれることなく畑として土地利用されていたことがわかる。古墳の歴史を考えるうえで貴重な資料」としている。

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