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今どきの歴史 世界遺産候補 百舌鳥・古市古墳群(大阪府) 悩ましき被葬者論争/大阪

世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録された。次は、来夏に登録の可否が決まる「百舌鳥(も ず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪・堺市、羽曳野市、藤井寺市)が関心を集めそうだ。ただ、少々悩ましい問題を抱えているのだ。

古墳群のシンボル、「大山(だいせん)古墳」に悩ましさが集約されている。

「大山古墳?」と首をひねる人も、仁徳天皇陵のことだと聞けばうなずけると思う。墳丘長486メートル(最近、525メートルに上方修正)。最大の古墳として歴史教科書に出てくる前方後円墳である。

しかし近年、仁徳天皇陵という呼称は不評。「大山古墳(仁徳天皇陵)」のように、その雄大さにちなむ地域での呼称と、管理する宮内庁の認定名との並列的な表記が多い。というのも、以前とは違い、在位の時期と古墳の年代とのズレなどから、ここに仁徳天皇が葬られていると考える研究者はまずいないからだ。では誰の墓かというと、それも難しい。

両古墳群に現存する89基中、保存のよい49基(4~5世紀)が世界遺産登録を目指している。その中に天皇陵クラスといえる墳丘長200メートル以上の大古墳も10基ほどあるが、大山古墳に限らず、宮内庁の認定と、実際の被葬者との関係では議論が尽きない。

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被葬者論の現況について土生田純之(はぶたよしゆき)・専修大教授(考古学)に聞くと、「墓誌が出ればいいのですが」。ただ、日本で墓誌がある古墳は群馬県の山上(やまのうえ)古墳1基だけというので、これは期待薄。

古墳の巨大さについて土生田さんは「一族の始祖墓として『先祖はこんなに立派だった』と、心の支えとしたのでしょう」と説明する。つまり、被葬者名は古墳の最重要事項で、築造時にはそれがわからなくなることなど全くの想定外だ。

しかし、平安時代の9世紀、朝廷が成務天皇陵と神功(じんぐう)皇后陵(ともに奈良市)を取り違えて祭っていたことがわかり、騒ぎになった。「平安時代でこの状態。戦国時代ごろには、わけがわからなくなったでしょうね」

視点を変えて、研究者が被葬者で一致できる一番古い古墳を探すと、6世紀前半に在位した継体天皇陵が必ず挙がる。宮内庁認定では太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)なのだが、学界では今城塚(いましろづか)古墳(同府高槻市)が「真の継体陵」とみる。

被葬者決定の根拠としては、記紀にある皇統や陵墓の記録のほか、平安時代に律令の施行細則を定めた延喜式(927年完成)にある陵墓の所在地情報が重視される。古墳時代からは数百年も後の史料なので、うのみにはできないのだが。

ただ、継体陵の場合、延喜式に「摂津国島(現・三島)上郡」と所在地が明記され、その後の平安貴族の文書や鎌倉時代の日記などでも場所の記述が動いていない。加えて島上郡には継体天皇の時代、天皇陵候補になる大型古墳が今城塚古墳の他には1基もないのだ。このため学界では、今城塚が継体陵として定説化した。宮内庁のいう太田茶臼山古墳の所在地は島下郡で、疑問という。

以上、真の継体陵論は説得力十分だが、大山古墳の被葬者探しの困難さも同時に示している。

百舌鳥・古市古墳群には築造時期の近接した巨大古墳が密集する。この点、地域を圧倒する1基だけで議論できる継体陵とは全く違う。大山古墳を含め築造時期や築造順序の研究は確実に進んでいるが、いざ被葬者像に進むと候補が多すぎる。

被葬者論では、10年単位の細かい議論で行う年代研究、記紀の記述、延喜式など、多種多様な条件を整合的に説明する必要がある。応神天皇・仁徳天皇同一人物説などまであって、決着への道のりは遠そうだ。

大胆に次々被葬者を特定する研究者もいるが、土生田さんは「根拠を持ってこうだと言う、その材料がない」と話す。大山古墳の主は「(中国の史書にある)倭の五王の誰か、くらいは言えますが」とのことだった。

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世界遺産登録の可否とともに、天皇陵の現況や、被葬者論の今後にも注目したい。

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