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垂仁天皇陵の埴輪制作? – 古代・土師氏の集落/菅原東遺跡/奈良

古代の埴輪(はにわ)製作集団・土師(はじ)氏の集落とみられる奈良市横領町の菅原東遺跡で、垂仁天皇陵に治定された宝来山古墳(同市尼ケ辻町)の埴輪を焼いていた可能性があることが、奈良市教育委員会文化財課埋蔵文化財調査センターの調査で分かった。遺跡の遺物を精査したところ、同古墳の物と時期や特徴が似た古墳時代前期(4世紀後半)の埴輪片を確認。日本書紀には、乗仁天皇に仕えた土師氏の祖・野見宿禰(すくね)が殉死の風習に代わる埴輪を考案したとの記述があり、関連が注目される。埴輪片は1日から、奈良市大安寺西2丁目の同センターで始まった夏季特別展で展示されている。

菅原東遺跡ではこれまでに、古墳時代後期の埴輪窯跡群と集落跡などを検出。古代の「菅原」の地にあることから、菅原土師氏の埴輪生産の拠点と考えられてきた。ただ、同時代後期以前の埴輪は確認されていなかった。

奈良市埋蔵文化財センターでは平成27年度、同遺跡から過去に出土した多数の埴輪片を精査。その結果、平成3年と同12年の出土遺物に、同時代前期にさかのぼる埴輪片を主な物で15点確認した。

いずれも野焼きで黒斑があり、円筒埴輪には▽方形や半円形の透孔がある▽鰭(ひれ)付きがある▽口縁部が約8センチと短い―などの特徴があった。形象埴輪は蓋(きぬがさ)形埴輪などで、立体的な段差表現を持っていた。

南へ約250メートルに位置する宝来山古墳でも近年、同様の特徴を持つ埴輪片が採取されていることから、同遺跡で焼かれた埴輪が古墳に供給された可能性があるという。

日本書紀によると、垂仁天皇は皇族の墳墓に近習者を生きたまま埋める殉死を哀れに思い禁止。皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の際、野見宿禰が殉死の代わりに墳丘に埴輪を立てることを提案し、土師の姓をたまわったという。

同センターの村瀬陸主事は「古墳時代後期の窯のすぐ近くで埴輪片が見つかり、垂仁天皇と同じ古墳時代前期にも埴輪生産が行われていたことが分かった。その事実が、日本書紀の埴輪誕生説話の元になった可能性もある」としている。

同センターの夏季特別展「奈良市の埴輪―土師氏の故郷でのハニワ生産」は9月28日まで。午前9時から午後5時開館。土日曜、祝日は休館(8月25日は除く)。入場無料。

問い合わせは同センター、電話0742(33)1821。

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