最新古墳にコーフンニュース

ニュース

眼前に国宝、驚きの博物館 埼玉古墳群のスゴさ/埼玉

県名発祥の地、行田市埼玉(さきたま)の国指定史跡「埼玉(さきたま)古墳群」。国内最大規模の円墳など大小九つの古墳が密集し、周辺を整備した「さきたま古墳公園」内の「県立さきたま史跡の博物館」には社会科の教科書に載る金錯銘(きんさくめい)鉄剣など国宝の数々がガラスケースに飾られている。「えっ、こんな間近で国宝の実物が見られるの?」。アクセスやPRが向上すれば今でも行列ができるのではと思われるが、こんな価値あるものをじっくり見られるのも「埼玉コレがスゴい」証しだ。

古墳群は遅くとも江戸時代には存在が知られ、1938年に国指定の史跡に。66年、国の「風土記の丘」事業開始に伴い発掘や整備が進んだ。鉄剣は68年に古墳群の一つ、稲荷山古墳で出土し、全長73.5センチ。10年後の78年、保存処理のためX線撮影したところ「ワカタケル大王(雄略天皇)」など115文字が金線で埋め込まれていることが判明し、これを毎日新聞がスクープした(新聞協会賞)。

鉄剣の表には「辛亥(しんがい)の年、七月中に記す。私は乎獲居(ヲワケ)の臣。上祖(かみつおや)の名は……」など、年代(辛亥は西暦471年と推定)と自分、始祖の名などを列記。裏には「世々(先祖代々)杖刀人(じょうとうじん)の首と為(な)り(中略)、獲加多支鹵(ワカタケル)大王の寺(役所)が斯鬼(しき)宮に在る時、吾(われ)、天下を左治(治めるのを補佐)し、此(こ)の百練の利刀を作らしめ……」と、自身が雄略天皇の杖刀人首(刀を杖つく人の首領=護衛隊長)だったことなどが記されている。

同時に見つかった神獣の文様の丸鏡や、竜を透かし彫りにした金メッキの帯金具、勾玉(まがたま)などの副葬品と共に83年、国宝に指定された。鉄剣は劣化しないよう窒素ガスが封入されたケースに保管・展示されている。

古墳群に埋葬されたのは、どのような人たちだったのか。確かなことは不明だが、「武蔵国造(くにのみやつこ)の乱」と結びつける説がある。

南武蔵(現在の東京都と神奈川県の一部)では5世紀前半まで大型の前方後円墳が築かれていたが、5世紀後半には急速に衰退。一方、ここ北武蔵では5世紀後半に突然120メートルの稲荷山古墳が出現し、次々と大型の前方後円墳や円墳が築かれた。この頃、日本書紀には武蔵国造(武蔵国の長官)の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の小杵(おき)が国造の座を争い、使主は朝廷の助けを求め、小杵を誅殺(ちゅうさつ)したと記されている。

その後、使主は武蔵国内の4カ所を屯倉(みやけ)(朝廷の直轄地)として献上。その一つが横渟(よこぬ)(現吉見町)とされ、同町の吉見百穴と武蔵国造の乱の関連を唱える説もある。今後解明が待たれるところだ。

古墳公園の面積は約37万平方メートルで東京ドーム8個分と散策にも程良い広さ。2月2日には古墳群の一つ、二子山古墳で発掘調査の現地説明がある。予約不要・参加費無料で、博物館の入館料(一般200円、高校・大学生100円、中学生以下無料)が必要。問い合わせは博物館(048・559・1181)へ。

埼玉古墳群
二子山(全長132.2メートル)▽稲荷山(同120メートル)▽鉄砲山(同107.6メートル)▽将軍山(同90メートル)▽中の山(推定全長79メートル)▽瓦塚(全長73.4メートル)▽奥の山(同66.4メートル)▽愛宕山(同54.7メートル)=以上、前方後円墳▽丸墓山(直径105メートル)=円墳=の9古墳から成る。稲荷山が最も古く、5世紀後半から7世紀始めの造営とされる。隣接する浅間塚古墳の真上には、やはり千数百年の歴史を持つ前玉(さきたま)神社が鎮座する。JR高崎線吹上駅北口から路線バスで約10分、「産業道路」で下車し徒歩約15分。

記事のページ:
https://mainichi.jp/articles/20190127/k00/00m/040/040000c