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存在すら知られず…大阪の市街地に埋もれた200基の古墳群/大阪

住宅や町工場がひしめく大阪市平野区。この一帯は約1600年前、古墳の密集地だった。後世の開発で破壊されて今は跡形もなく、昭和49年の地下鉄工事に伴って発掘されるまで存在すら知られていなかった。古墳群発見から今年で45年。これまでに200基以上の古墳が確認され、長原古墳群と呼ばれる。船や武人などをかたどったバラエティーに富んだ埴輪(はにわ)が多いのが特徴で、33点が国重要文化財だ。渡来人も暮らしていたとみられ、大和王権を支えた国際色豊かな地域だったようだ。

鉄骨が突き刺さった墳丘

49年の最初の調査で見つかったのが塚ノ本1号墳だ。大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)谷町線の延伸工事に先だって発掘が行われ、墳丘の一部が出土し古墳群最大の円墳(直径55メートル)と判明した。ただし、墳丘のほとんどが失われ、鉄骨が突き刺さった状態だった。

この一帯ではその後も近畿自動車道建設や住宅開発などが相次ぎ、そのたびに古墳が発見された。大半が一辺10メートル以下の小さな方墳で、南北2キロ、東西1・5キロの範囲に広がり、5世紀に集中して築かれた。

長原古墳群の特異な点は、200基以上もの古墳がありながら、墳丘の痕跡が地上にはいっさいなかったことだ。古墳は通常、高さ数メートルの墳丘があるため、後世の開発で破壊されても地表には何らかの痕跡をとどめることが多い。墳丘の一部が残って高まりになっていたり、道路や田畑の畦が古墳の形状に沿って不自然に曲がっていたりするためだ。

「数百基も古墳があるなら、痕跡が少しぐらい残っていてもよさそうだが全くなかった。調査していないところも多く、当初は千基近くあったのでは」と特別展担当の松本百合子学芸員は話す。地名には高塚、狐塚など古墳を思わせる地名が残っていたが、古墳群の存在は研究者も予想していなかった。

洪水で一気に古墳が埋没

古墳が姿を消した理由は、約1400年前の飛鳥時代にさかのぼることが発掘調査で明らかになっている。この頃に大規模な洪水に見舞われ、大量の土砂が墳丘の大半を埋め尽くした。その後、一帯が水田として利用されていくうちに、わずかに残っていた墳丘も開墾に伴って削られ、近代になって住宅や工場などが建てられたという。

「人口が多くて開発の手が常に入ったため、いつしか古墳のことは忘れ去られた。都市にある遺跡の宿命かもしれません」と松本さん。

古墳群で2番目に大きい一ケ塚古墳(直径47メートル)では、墳丘の真上に住宅が建てられており、埋葬施設は完全に失われていた。また、長原217号墳(一辺5~6メートルの方墳)は漆塗りの櫛や人の歯などが見つかったが、戦後に市営住宅が建てられたため墳丘は高さ20センチほどしか残っておらず、コンクリートの基礎の柱が20本以上突き刺さった状態だった。他の古墳でも、墳丘が高さわずか5センチしか残っていなかったものもあった。

小さい古墳に重文クラスの埴輪

墳丘は破壊されていたが、古墳の周溝には奇跡的に埴輪が大量に残っていた。馬、甲冑(かっちゅう)、巫女(みこ)、家…。小さい古墳でありながら、長原古墳群にはさまざまな埴輪がそろう。その理由について松本さんは、応神天皇陵(墳丘長425メートル、大阪府羽曳野市)を中心に数キロ南東に広がる古市(ふるいち)古墳群(大阪府羽曳野市、藤井寺市)に着目する。

「当時の長原の人たちは、古市古墳群の壮大な姿を見て、立派な埴輪が立てられていたことは知っていたはず。巨大な墳丘は築けなくても、埴輪だけは立てたかったのかもしれません」と古代人に思いをはせる。

当時、この一帯は、大阪湾につながる河内湖が広がっていたと推定され、瀬戸内海を通じて九州や朝鮮半島などとの重要な交通の拠点だった。長原古墳群からは朝鮮半島の特徴をもつ馬具や須恵器も見つかっており、渡来人も多く暮らしていたとみられ、同古墳群の被葬者は古市古墳群を頂点にした大和王権を支えた人物の可能性があるという。

一帯の発掘調査では、朝鮮半島系の土器と在地の土器が、同じ穴に一括して捨てられていたケースもあった。松本さんは「長原の人と朝鮮半島系の人が一緒に暮らしていたことを示し、民族の境目なく共生していた証し」と指摘する。

海人や武人が王権支えた

海を通じた交流を物語るのが、長原高廻り2号墳(4世紀後半、直径21メートル)から出土した船形埴輪だ。全長1・3メートルの大型でほぼ完全な状態で残っていた。甲板の仕切り板やオールを固定する突起などが精巧に表現され、国重文に指定されている。古墳群の被葬者は、航海を担当する人物だった可能性もある。

一風変わった埴輪が見つかったのが、長原150号墳(5世紀中頃)。ずんぐりとした胴体で、顔が異様に小さくひしゃげたような武人埴輪だ。通常の人物埴輪は目や口をシャープに切り抜いて表現しているが、この埴輪は目より下の鼻やほお、口は粘土板を張り付けただけで、顔も極端に小さかった。

大阪歴史博物館(大阪市中央区)では3月17日まで特別展「はにわ大行進~長原古墳群と長原遺跡」が開かれている。豆谷浩之学芸課長代理は「地面をわずかに掘るだけで個性あふれる埴輪が出土している。今では跡形もないが、大阪平野の真ん中にたくさんの古墳が築かれていたことを知ってほしい」と話した。

火曜休館、特別展のみの場合は大人千円、高校・大学生700円、中学生以下無料。3月2日午後2時からは、担当者による展示解説が行われる。

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