第一会員イチキ游子の古墳に混乱コラム

第十一回「古墳看板考」

投稿日:2014年8月19日

お店でも会社でも習い事教室でも、なんにでも「看板」というものが存在する。

そこには何があってどんなセンスの人たちによってどんな仕事が展開されているのか。看板を見ればそれらが一目でわかるという魔法の板である。
基本的に看板好きなあたくし、気になる看板にはついつい目が行ってしまう。

阿佐ヶ谷にある「潜水教室」。方南町の「金魚一道」。渋谷で見た「生産性研究所」。えせとてらえせとてら…。どれもこれも「なるほどお宅が気になるわ」な、秀逸なインパクトの看板たちである。

余談だが、こないだ赤坂見附で見た「日本切断研究所」に至っては、帰宅した後も忘れられず思わずウェブサイトまでチェックした。その結果、そのなんでも切断してくれるとゆう会社は、期待を裏切らない「切断」への熱い想いと「断面マニア」という人種の存在、そして最後のウェブ項目「切断できないもの」の中に「爆発物、生物体」と記すことによってその本気度をいかんなく伝え、あたくしたちを切断へのロマンへいざなってくれた。全ては看板を見たおかげなのである。

…話がだいぶそれましたがネ、つまり「看板は大事」だということデス。
からの、そー言えば「古墳の看板」てどーだったっけ、とノンポリ思ったという話なのであります(最敬礼)。

古墳めぐりに同行すれば、当然古墳の「看板」というものに遭遇する。看板もなにもない古墳というのももちろんあるんだが、やっぱり結構な確率で看板を見る。

名称オンリーのもの。年代、埋葬者、埋葬品、発掘調査の歴史などなど、事細かく解説してあるもの。これまで行った数少ない古墳についてはバリエーションはあれどだいたい同じような印象である。


第十一回「古墳看板考」

当たり前だが改めてストイックだなと思う。ムダな文言や日和ったキャッチコピーなどあるはずもなく、どれもこれも凛としている。だがしかし…

(なんかないかな、こう、グッとくる古墳の看板…)

やはりもともとの名称が決まっている古墳の看板にオリジナリティを求めるのは難しいのか。
…しかし、ついに先日出会ってしまったのである。
先日フラリと埼玉県の川越市を散策に訪れた時のこと。
6基ほどの古墳群があるというので、近場の何ヶ所かをまわってみることにした。

立派なお堂を頭に乗せた慈眼堂古墳(看板なし)、同じくお稲荷さんを戴いた三変稲荷神社古墳(正統派看板)…いずれもなかなか癒される「クジラ古墳」ぷりである(第9回「鯨古墳考」参照)。

慈眼堂古墳がある喜多院を出てすぐの日枝神社にも古墳があると分かり、さっそく行ってみた。

第十一回「古墳看板考」

小さな境内の脇に、こんもりとそびえるやさしくまろやかな前方後円墳。
そして、道路に面して建てられた木製の看板を見上げると、手彫りのような木の札にはでかでかとこう書いてあったのである。

「1500年前古墳」

第十一回「古墳看板考」

きたよオイ!

一応、下には正式名称の「日枝神社古墳」と書かれてるらしいんだが、かすれてしまってほとんど読みとれない。
とにかく主張するはただ一つ「1500年前古墳」他には何も説明不要。

すげえ。なんだ「1500年前古墳」て。完全にあだ名じゃねえかよ。つか…なに?なにこの気になるテキトーなアピール力!

『そーねー、だいたい1500年くらい前っすかネー、とにかくすんごい昔からあるのヨ、見てって見てってーいい古墳っしょー?なんか癒されねーですかあ?』

数字を含めたたった8文字で、その看板はあたくしにそう話しかけてきたのである。

(見た見た!イーネー!超イーネー!!マジで1500年前からいんの?やるネー!)

思わず心の中で看板とハイタッチ。かつて、あたくしこと古墳白痴のノンポリ会員に、ここまですんなりと目線を合わせてくれた古墳の看板が他にあったであろうか(いやない)。

実はこれまで、ほとんどの古墳の看板に書かれた、歴史情報や埋葬品や等高線図みたいな図が難しくて理解できず、分かったような顔でスルーして、看板から何かを学ぼうなどと思いもしなかったあたくし。

そのあたくしが看板を見た途端「1500年前古墳」こと日枝神社古墳が気になって更にぐるぐる見たくなっちゃったのですよアータ!

おそるべし、シンプルイズ1500年前古墳の看板…!ありがとう日枝神社古墳!なんかよくわかんないけど、勇気出た。ホントありがとう!

第十一回「古墳看板考」

あゝやっぱ看板って大事…。これからは古墳巡りの時には、協会の古墳愛者たちの挙動(不審)とあわせて看板もじっくり研究することといたします。

つか神様…あたくしに、正統派の古墳看板を最後まで読める大人の読解力も、ください…出来れば…。

from.Yuko Ichiki